4/15 葬儀当日は、さすがに泣きましたね。
これは、あくまで自分の意思で泣いたのであって、演出に泣かされたのではないことに意義を感じています。
演出で泣かされるのは相手の影響力に甘んじていることになりますので対抗していたのですが、純粋にこみ上げてきた時は素直に泣きました。
これは自分の意識を表現する方法として、良いことだと思います。

 さて、人はなぜ葬儀という儀式をするのでしょうか?
それは、悲しみという感情を昇華する場を必要をし、その場に集まり皆で昇華してしまおうという意義の元、考え出された儀式なのではなかろうか、と思うのです。
この場を借りて一気に感情を昇華することにより、いつまでもその感情に引きずられることもなく、次への一歩を進めることができるようにする、という意味で意義深い儀式であると言えます。

 そこで、私はオビワン・ケノビーの最期を思い浮かべました。
「私に永遠の命が与えられる」と言い、最期を遂げたのです。
その後、ルークはどこにいてもいつでもオビワンと話ができるようになったのです。

 私も、そのようになれるよう精進したいと思います。

 本日もお読み頂き、ありがとうございます。


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