たとえば、ここに綺麗好きな人がいたとします。
その人の部屋は、当然片付いていることでしょう。
ある日、その人は友達の家に遊びに行きました。
そして、その部屋にびっくり。
散らかりほうだいだったのです。

 この時、綺麗好きな人は、この散らかった部屋を片付けるよう促すでしょう。
もしくは、自ら片付けに掛かるかもしれません。
この人の概念は、片付いている部屋こそ良い、と思っていることでしょう。
たしかに、片付いている部屋は気持ちの良いものです。
しかし、部屋を散らかしている人の言い分は、「そこに物を置いている」です。
この人の部屋を強引に片付けてしまうと、きっとどこに何があるのかわからなくなるでしょう。
それを防ぐため、見える所に物を置いていった結果、散らかったとも言えます。
片付けてもらったことにより、困ったしまうということも有り得るのです。

 ここに、感覚の相違、というのを考えてみる必要がありそうですね。

 部屋が整然と片付いて見栄えが良いことを優先するのか、すぐ物を使えるように配置することを優先するのか。

 この違いの究極が上記の違いになって現れるのだと思います。

 そこで問題となるのが、人は自分の感覚を他人に強要する性質がある、ということです。
そうしてやることがその人を助けている、と思っている人もいます。
しかし、された当人はどう思っているでしょう。
先ほどの話に戻りますと、部屋を片付けられた人は、どう思っているでしょう。
綺麗になった、と喜んでいる場合も当然あるでしょうが、使いにくくなった、と思っている場合もある、ということなのです。

 このような事象は、世の中に多く存在します。
食べ物の好みもそうでしょうし、ファッションなんかもそうでしょう。
 強要と言えば大げさとも思えますが、自分の好みを相手に押し付けてしまったり、勧めすぎたりしてしまうのはよくあることです。

 相手に何か勧める時、相手の感覚や好みをよく考えてみる必要が大いにありそうですね。

 本日もお読み頂き、ありがとうございます。




----------------------------------------------------
  ↓ ↓ ↓ 感覚の相違と思った人も。。。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へこんな生き方に賛成の人も、 ポチっ!
----------------------------------------------------

Copyright 生活向上委員会