時代が変わりつつある 淘汰を仕掛ける時代は終わった

 本日、ある企業の重役さんと対談することになった。
テーマはロングテール理論だったのですが、対談を進めるうちに進化は淘汰の中から生まれるという話題になり、非常に重要な点に気付きましたので、その点について書き留めておきたいと思います。

 進化の過程を振り返ってみますと、生き残るために新しい適応をし進化したように見えるのですが、実は、新しい適応が幾つもトライされて、淘汰された結果生き残ったものが進化というかたちで表現されているのではないか。
 今まさに進化しようとしている時代は、これが正解というものは無く、いろいろな異端児といわれる行為のなかに淘汰されなかったものが生き残り、それが結果として進化といわれるものになったと考えられるのではないか。

 ここまでは、進化論を逆の目線でみると容易に理解することができると思います。

 ここで、私たちはロングテール理論の上になりたつ淘汰について考えてみたのです。

 いままでの人類の進化も淘汰の上になりたっていたと仮定すれば、淘汰した何者かがいるはずです。
 この何者かは、今までは、時の権力者ではないか、という考えが持ち上がりました。
この、時の権力者とは、ある時は政治家であったり、それぞれの道のカリスマと呼ばれる人たちを指します。
 近い環境で申しますと、社長であったり上司であったり、もっと近くでは親だったりします。

 つまり、私たちが何か行動を起こす時は、その指針となる人物が存在するわけです。

 WEB2.0時代に入った今、新たな指針がインターネットというかたちで参上しました。
 今までは、指針とした人物が認めないと物事は成り立ちませんでしたが、WEB2.0時代の到来とともに崩れかけているように考えられます。

 つまり、今までは、ある権力者(広い意味での)が世の中をコントロールしていた、と考えられるのです。
 それが崩れる日が近づいて来ている、というわけです。

 今、私たちは自由に自分の意見を発信する世界を得ました。
そして、これは一団体一個人がコントロールすることはできません。

 まさに、ロングテールです。
ロングテールが意見や情報を発信し、ロングテールがそれを淘汰する。
 そんな時代がそこまでやってきている、そんな気がします。

 ロングテールとは少数意見ですが、それがある日、恐竜の首になり得る可能性を秘めた時代なのです。

 何が正しくて何が正しくないのか、そんな討論は意味を持たなくなります。
利害関係のないロングテールが淘汰を仕掛けるのですから。
 淘汰されなかったものが生き残る、賞賛されたものが生き残る。
これは正しいか正しくないかではなく、生き残ったか絶滅したか、単に、その結果であるのです。

ただし、暴走したものは、かたちはどうあれ必ず淘汰されることを心に留めて置かねばなりません。
 何をやっても良いという事とは意味合いが異なります。

 チャレンジャーには最高の時代が訪れます。
どうか、皆さんも、臆せずチャレンジ精神を持つ事をお勧めします。

 ありがとうございます。

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