ゾウは大きいと思いますか?
大きいに決まっているじゃないか。
いや、小さい。宇宙から見るとかぎりなく小さくて見えないくらいだ。
さて、この議論、どちらが正しいと思いますか?
このような単純な議論は冷静に見ることができ、どちらも正しいと言えます。
ですが、すこし複雑な議論になりますと、どちらかの意見に賛同し、相反する意見を否定します。
では、ゾウの議論にもどって考察してみましょう。
ゾウが大きいと主張する人は、人間の大きさを基準に主張しています。
ゾウは小さいと主張している人は、宇宙から見た大きさを基準にしています。
この問題は、それぞれがどのような基準でものを見るか、その基準の違いから生じています。
『「心」はからだの外にある―「エコロジカルな私」の哲学』 (NHKブックス)
のp192を読みますと、これを、スケールの違いにより生じる、とあります。
人間は基本的にメートル基準で体感します。
身体がそれくらいの大きさだからです。
しかし、イメージする能力を持ち合わせているため、ミクロ的マクロ的に解釈することも可能なのです。
ですので、メートル基準で話しする人とマクロ基準で話しすると意見が食い違うのは当たり前です。
このことは、個人の葛藤の中にも表われます。
成功法則はその最たるものでしょう。
あらゆるものに感謝しなさい、とか、あらゆる物体は波動だとか。
量子論なんかもそうですね。
どうみても物質が粒子のスピンだなんて思えません。
そこに葛藤が始まりますね。
法則や量子論を肯定するために、今見えている世界を否定しなければならないような気がしてくるのです。
でも、見えている世界は見えているものなので否定のしようがありません。
法則や量子論は見えない世界なので、肯定しようにも体感はできません。
でも、これがスケール基準の違いだとわかれば、否定する必要性はなくなります。
そのうえで、肯定できないことがらはどうするか?
知識として活用する
紫外線は見えませんが、浴び続けると身体が黒くなります。
やけたくなければ屋外に出ないか、帽子をかぶったり長袖を着るなど対策を講じればよい。
これが知識の活用です。
そして、その存在も否定していません。
信じていなくても、否定はしていないのです。
厳密には、屋外にいると身体が黒くなることから、なんとなく紫外線は体感するのですが。
否定すると活用することは不可能です。
でも、新しい理論を肯定するがために以前の理論を否定してしまっては、いままでの理論での功績は活用できないようになります。
それを防ぐためにも、両方とも肯定する。
そのためには、その相反する理論はスケール基準を変えると成り立つ、と考えるのです。
すると、葛藤がなくなり、スムーズに浸透します。
両方肯定したので、その時々で両者を使い分け活用できるようになります。
葛藤は解消されました。
この感覚が身につけば、あらゆる人間関係は改善され、あらゆる成功法則を活用できることでしょう。
本日もお読み頂き、ありがとうございます。
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大きいに決まっているじゃないか。
いや、小さい。宇宙から見るとかぎりなく小さくて見えないくらいだ。
さて、この議論、どちらが正しいと思いますか?
このような単純な議論は冷静に見ることができ、どちらも正しいと言えます。
ですが、すこし複雑な議論になりますと、どちらかの意見に賛同し、相反する意見を否定します。
では、ゾウの議論にもどって考察してみましょう。
ゾウが大きいと主張する人は、人間の大きさを基準に主張しています。
ゾウは小さいと主張している人は、宇宙から見た大きさを基準にしています。
この問題は、それぞれがどのような基準でものを見るか、その基準の違いから生じています。
『「心」はからだの外にある―「エコロジカルな私」の哲学』 (NHKブックス)
人間は基本的にメートル基準で体感します。
身体がそれくらいの大きさだからです。
しかし、イメージする能力を持ち合わせているため、ミクロ的マクロ的に解釈することも可能なのです。
ですので、メートル基準で話しする人とマクロ基準で話しすると意見が食い違うのは当たり前です。
このことは、個人の葛藤の中にも表われます。
成功法則はその最たるものでしょう。
あらゆるものに感謝しなさい、とか、あらゆる物体は波動だとか。
量子論なんかもそうですね。
どうみても物質が粒子のスピンだなんて思えません。
そこに葛藤が始まりますね。
法則や量子論を肯定するために、今見えている世界を否定しなければならないような気がしてくるのです。
でも、見えている世界は見えているものなので否定のしようがありません。
法則や量子論は見えない世界なので、肯定しようにも体感はできません。
でも、これがスケール基準の違いだとわかれば、否定する必要性はなくなります。
そのうえで、肯定できないことがらはどうするか?
知識として活用する
紫外線は見えませんが、浴び続けると身体が黒くなります。
やけたくなければ屋外に出ないか、帽子をかぶったり長袖を着るなど対策を講じればよい。
これが知識の活用です。
そして、その存在も否定していません。
信じていなくても、否定はしていないのです。
厳密には、屋外にいると身体が黒くなることから、なんとなく紫外線は体感するのですが。
否定すると活用することは不可能です。
でも、新しい理論を肯定するがために以前の理論を否定してしまっては、いままでの理論での功績は活用できないようになります。
それを防ぐためにも、両方とも肯定する。
そのためには、その相反する理論はスケール基準を変えると成り立つ、と考えるのです。
すると、葛藤がなくなり、スムーズに浸透します。
両方肯定したので、その時々で両者を使い分け活用できるようになります。
葛藤は解消されました。
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