私は学生時代、学校に行くのが嫌なときがありました。
勉強の意義が感じられなくなったのです。
部活もやっていなかったので、やめてもいいとさえ思っていました。
しかし、やめてもいいのだがやめずに卒業はした方がいい、というジレンマを感じていました。
そこで発想の転換をしたのです。
勉強するために学校に行くのは苦痛だ。
だから勉強のためではなく友達に会いにいくのだ。(友達と会うのは楽しい)
これで学校に行く苦痛がなくなり、卒業できたというわけです。
まあ、先生との云々はありましたけどね。
このようにフォーカスポイントを変えてしまう。
どこにピントを合わせるか。
これにより、かなり気分が変わります。
○○のためにやらなければ、という義務感だけでは疲れてしまいます。
そこで、気分が良くなる何か、を見つける。
そうすれば、なんとかやっていけるはずです。
そのうえで、自らの気分の良い方向づけを進めていく。
そうすると、だんだん強制されることが少なくなってきます。
すなわち、オセロの白面が見えるウエートがどんどん増える、ということです。
本日もお読み頂き、ありがとうございます。
勉強の意義が感じられなくなったのです。
部活もやっていなかったので、やめてもいいとさえ思っていました。
しかし、やめてもいいのだがやめずに卒業はした方がいい、というジレンマを感じていました。
そこで発想の転換をしたのです。
勉強するために学校に行くのは苦痛だ。
だから勉強のためではなく友達に会いにいくのだ。(友達と会うのは楽しい)
これで学校に行く苦痛がなくなり、卒業できたというわけです。
まあ、先生との云々はありましたけどね。
このようにフォーカスポイントを変えてしまう。
どこにピントを合わせるか。
これにより、かなり気分が変わります。
○○のためにやらなければ、という義務感だけでは疲れてしまいます。
そこで、気分が良くなる何か、を見つける。
そうすれば、なんとかやっていけるはずです。
そのうえで、自らの気分の良い方向づけを進めていく。
そうすると、だんだん強制されることが少なくなってきます。
すなわち、オセロの白面が見えるウエートがどんどん増える、ということです。
本日もお読み頂き、ありがとうございます。