吉田拓郎さんに元気をもらったところで本題に戻りたいと思います。

 2009/3/13の記事で、鬱の意味は元々は勢いを表していることがわかりました。
しかし、この勢いを野放しにしているうちに草木が生い茂りすぎてきた。
そして、鬱蒼とし光が差し込まないようになってしまった。
これが現在の状況(鬱)です。
戦後の高度経済成長から今までを思い返すと良くわかると思います。

 では、この鬱を彷彿するにはどうすればよいのでしょうか? 
鬱蒼とした森林に光がさすようにしなければなりません。
あまりにも茂りすぎた結果、鬱蒼としてしまったのですから、光がさすためにはある程度木を切るしかありません。
髪の毛がボサボサになっているのを散髪し、すっきりさせるようなものです。

 今はやりのエコの追及も良いでしょう。
ただ、エコを追うあまり物があふれてしまうと本末転倒になってしまいます。
 そこで、身近な例でいうと、机の上の整理や部屋の整理整頓から始めると良いと思います。
いらない物を処分する事が必要です。
これは意外に難しいのではないでしょうか。
なかなか物を捨てられないのが現状です。
しかし、だからこそ執着を捨てる訓練になるわけです。
執着を捨てると心が晴れると言われています。

 いりそうでいらない物をどんどん処分していくと心に晴れ間が見えてきます。
それは、物を処分するなかで心の執着をも捨てているからです。
心の内と現実世界は常にリンクしています。
心を掃除するのはなかなか難しいですが、その心にリンクしている現実世界を掃除するのはいかがでしょうか。
 すると、やがて心が晴れてくると思います。

 ありがとうございます。

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  ↓ ↓ ↓ 執着のある人も。。。
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