引き寄せ力を高めようとすると、その他の思想や哲学にも手を出し始めます。
そして、坊さんのように悟りを開こうをする場合があります。
これ自体は何ら問題はありません。
ただ、悟りの境地に近づくほど、なんだかむなしくなってきた、ということはないでしょうか?

 これは、ある意味、引き寄せを自由に扱えるようになるための順路と言って良いかもしれません。

 坊さんは、幸せなのだろうか?
と思ったことはありませんか?

 それを求めていたにもかかわらず、その域に至ると、なんだかむなしい。
思ったほど幸せじゃない。

 このような場合、まだあなたは幸せの域には達していません。
ただ、その順路であるポイントに達しただけなのです。

 悟りを開いていくと、自由度が高まることは事実です。
ただ、それは目指す到達点ではなく、通過点であると解釈してください。
そうすることにより、より幸せに近づいていきます。
 悟りを追求しながら、引き寄せ効果をも検証するのです。
常に、悟りと引き寄せをフィードバックしながら体感していくと、思考に生きながらも実生活を生きていることになります。
思考に偏りすぎると、むなしさが感じられるのではないでしょうか。

 エイブラハムは「思考で引き寄せたものを楽しむのが現実世界だ」と述べています。

 つまり、引き寄せたいものと引き寄せたものに隔たりがあったとしても、
「ああ、こういう思考ではこういう引き寄せが現実化するのだな」
というふうに捉えれば、思考と現実化をフィードバックしていることになります。

「では、こういう思考ではどうだろう」
というふうに、思考を変化させ、自分の望む現実化に近づける方法を模索していくと、人生が面白くなると思います。

 思考とそれによる現実化、この両方を行ったり来たりしていると、むなしさという感情はいつのまにかどこかへ行ってしまっていることでしょう。


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